「森澤家大十三結社之秘傳」-1 (現代語要約)
あの家の持ち主は「森澤」という一家なのらしい。
森澤家は、一風変わった一族だった。彼らの歴史はそれほど長くなく、決して由緒ある名家とはいえない。世間で格下に扱われることも少なくなかった。だがこの家には独特の家訓があった。
「いかなる事態になろうとも、血を絶やしてはならない」
それは名のある家であれば、どこにでもある家訓のひとつかも知れない。だが森澤家のそれは唯一の家訓であり、しかも徹底していた。家の反映や名誉、財産、それらすべてを犠牲にしても、一族がその名を背負い、今あるどの血族よりも長く、生き延びる事を重んじた。
どんな時代にも、生き延びること。それこそが、命あるものとして最大の力であり、森澤家の血を継ぐ者の使命であると、歴代の当主は考えていた。
森澤家には、世襲される家業はなかった。移り変わる時代の中で、如何なる生き方が最良であるかは常に変わっていく。子孫たちはできる限り、親兄弟とは異なる生業を身につけた。当時は働くことが困難であった女性も、その例外ではなかった。
しかし時代は戦争へと突入していく。
昭和2年、当時16代目の当主・森澤榮徳は教諭として、千葉県にある保田尋常高等小学校へ赴任した。この町には、歌人・石原純が住んでいた。かのアインシュタイン博士が来日講演した際、通訳を務めたことで知られる物理学者でもある。森澤は、趣味だった短歌を通じて、石原と交流を深めた。
自身もヨーロッパへ何度も渡航し、最新科学についての見識を広めてきた石原は、相手が専門家であろうとなかろうと、科学の話をするのが好きだった。その多くは現代では広く知られている科学理論に関することだったが、森澤が興味を示したのは、石原が「半信半疑の、都市伝説の類」と前置きして話した、秘密結社「ドライセン・グロッセ」の伝承だった。
