2022/04/21 10:42
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とりあえず、李さんからあらためてご家族に、私の名前と連絡先を伝えてもらった。中国語はわからないけど、李さんに電話を代わることはできる。ご家族に余計な心配はさせたくなかった。
李さんのお姉さんは、記憶喪失の原因究明に協力的だった。李さんは前回の帰国後、カウンセラーの勧めでずっと日記をつけていたという。こちらへ送ってくれるというので、それを待ちながらの調査ということになった。
今日はバイトは休みだった。まずは、事件現場だ。李さんが刺されて、倒れていたという民家まで行ってみることにした。李さんは自分で言い出したくせに、現地に行くのを最初は躊躇っていた。そこに行ったら、また記憶を失うのではないかと。
──なにか手がかりを落としてるかもしれないじゃない。昼間見ないとわかんないよ。大丈夫、前回も今回も夜だったし、今日は私もいるから。何かあっても、すぐ助けられる。
…もう一度同じ説明をすることになったら、面倒だなあとは思ったけど。
その家は、私がバイトしているコンビニがある都道と平行に走る、1本北側の裏道沿いにあった。狭い割に交通量の多い都道とは裏腹に、こっちの道はひっそりとして、人通りも少なかった。というのも、この裏道と都道に挟まれた区画には、マンションや大きな民家が並んでいたが、その入口がみんな都道の方を向いていたのだ。反対側には大きなお寺があって、敷地から伸びた大木が塀を越えて枝を広げ、日陰を作っていた。昼間は涼しくて散歩にお誂え向きだが、夜ここを通るのは、ひとりではちょっと怖い。問題の民家だけが、こちらの道に面して入り口を構えていた。
──ここ、空き家だよね。
──そうかも知れません。襲われたときも、起きたときも、誰にも会いませんでした。
電気のメーターを探すまでもなく、古そうな木造の大きな家は明らかに腐り始めていた。広い庭も草で埋め尽くされ、随分長いこと、ここから玄関へ歩いた人はいなさそうだった。門柱の表札はかすれていて、郵便受けはガムテープで塞がれていた。門戸は内側に開かれたまま、朽ち果てていた。
──私はあのへんに倒れていました。あの、蓋みたいなものの近く。あれ何でしょうか?
李さんは庭の奥にある、明らかに人工的な、コンクリートの土台のようなものを指差した。上に鉄製の蓋がかぶせてある。
──井戸じゃないかなあ。このあたりは地下水脈が多くて、井戸もあちこちに残ってるって聞いたよ。
植栽も伸び放題で、庭は薄暗かった。ふと見上げると、伸びた枝の隙間から、コンビニの青い看板が見えた。私のバイト先は、この家のちょうど真裏にあるらしい。
昨夜…じゃない、2015年の冬、李さんは帰宅中にこの家の前にさしかかった。暴漢はこの庭に隠れていたのかもしれない。李さんは、刺されたのか、殴られたのか、とにかく意識を失って、この庭の奥で目を覚ました。
犯人は李さんの体を、あそこまで引きずったのだろうか。いや待て、李さんが庭の奥で目を覚ましたのは、昨夜のことだ。7年前に刺された後も同じだったのかどうかは、日記を見てみないと…いや違う、日記を書き始めたのは、最初に記憶を失った3年前からだ。
…こんがらがってきた。
周りに人がいないことを確かめてそっと庭に入り、遺留品がないか探してみた。何も見つからなかった。ゴミすらほとんど落ちていない。外から井戸に見えたものは、近づいてみるとかなり大きかった。奥に長い長方形をしていて、長い方は2メートル近くあった。錆だらけの蓋の真ん中には二つ折りに開く蝶番があって、縁には南京錠がかけられていた。
──ううん、手がかりなしか。
──そうですね。でも、私がどういう所に倒れていたのか、昼間初めて見ました。
…初めても何も、昨日までの記憶ないじゃんか。というツッコミは、差し控えた。
調査の初日は、空振りに終わったようだ。私は帰りに自分のバイト先を回って、ATMでなけなしの貯金を下ろした。
それほど性能は良くなかったが、パソコンは自由に使っていいよと李さんに言った。李さんは、これだけ上手に話せるくせに日本語が読めないらしい。だがネットを見るくらいなら問題なさそうだった。
早速あれやこれやと何かを調べていたが、特にこれという成果はなかったようだ。2015年のその頃には、暴行や引ったくりなどの事件も見当たらなかった。