2022/04/24 22:44
How to pick open a lock with paper clip - life hack - YouTube
──ひと通り読みましたが、帰ってから、私の記憶は一度も戻っていないみたいです。
バイトから帰ると、李さんが報告してきた。
──ただの一度も。ぼんやりとも、夢の中でも。私の3年半は、綺麗サッパリ、消えてしまいました。
──そうなんだ。体調は、どうだったの?
──それも、何もありませんでした。頭痛もないし、怪我も病気もない。カウンセリングの効果が出ないことは悩んでいましたが、極端に憂鬱になったり、イライラもしていませんでした。記憶以外は、完全に健康でした。最後の方はカウンセラーも、ちょっと不思議がっていたみたいです。
──そういうものなのかな。
何気なくノートに手を伸ばそうとすると、李さんは慌ててそれを抱え込んだ。
──だめです。これは私の日記です。たとえ華恵さんでも、見せられません。
──あ、そうだよね。ごめん。
怒っている様子はなかった。だがうっかり見られたら大変とばかりに、ゴソゴソと隣の部屋に隠しに行った。隠すと言ったって、李さんの荷物なんて着替えしかなかったから、見ようと思えば見られたけど。私もそれ以上詮索するのは控えた。
──最後の日記は?
──私がここに来た日は、まだ日記を書いていませんでした。その前の日までは、何も変わったことは起きていないようです。何か思い出したのでもない。
ということは、当日の朝に何か突然思い出して、あるいは思い立って、衝動的に日本に来てしまった?…そんなことって、あるんだろうか。しかも時間的には、たぶん東京に着いてほぼまっすぐ、例の空き家に向かっている。
──日記を書き始めた最初の日には、ここでのことも、華恵さんが話していた通りに、書いてありました。私はここに泊まって、次の日、入管に行って、そのまま帰国しました。何もお礼しなかったことを、気にしていました。
──私は、気にしてないよ。思ってもいなかった事件だったから、とにかく驚いてただけ。手紙くれて、ありがとうね。
李さんが自分の手で書いた手紙があったから、今回は説明が早かったのだ。結果的に李さんは、自分で自分を助けたことになるんだな。
とはいえ、期待していた日記からも、それほどの収穫はなかった。いよいよ、手詰まりだろうか。
──やっぱり、あのボウクウゴウに入るしかなさそうです。
李さんが、重い覚悟を決めたように言った。
──ん?
本当のところ、私にもそれはわかっていた。だがあの道や、空き家でさえ怖いのに、あんな穴蔵に入るなんて想像したくもなくて、目を背けていたのだ。できればそれは、避けて通りたかった。第一、あそこには鍵がかかっている。
李さんは、ポケットから南京錠を1個、取り出した。それと、元はゼムクリップだったらしい針金。手で伸ばして、曲げてある。
──コンピュータ、使っていいと言われてたので、調べて練習しました。この鍵は、開けられます。たぶん、あそこの鍵と同じです。
──その鍵、どうしたの?
──服屋と同じ建物に、100円ショップがありました。すみません、洋服のお釣りで買いました。
…いつの間に。
李さんが取り出した南京錠は、あの防空壕についていたものよりは小型だったが、タイプとしては同じものだった。簡単にピッキングできる、と聞いたことはあったが、まさかネットで習得できるなんて。ひとりで空き家に行かないよう言っていたし、もうあらかた現場は調べた後だった。私がバイトしている間、李さんも何かできることを探して、ここで言い出すよりも前からその決心をしていたんだろう。
だけど、入ったらどうなるんだろう。嫌な予感しかしない。
でも。
記憶喪失の原因を探っていて、一体どんなおめでたいオチがあるというのか。どんな単純なハッピーエンドを、予想していたっていうのか。そんなことは、最初からいくらかはわかっていたことじゃなかったか。
そのことを考えようともせずに首を突っ込んだ、私が一番、おめでたいじゃないか…。
李さんはきっと、最初からそれも承知していたのだ。李さんは今、私の何倍も、何十倍も怖いはずだ。それでも彼は、知ろうとしている──真実を。
それなら、私にできることは、ひとつしかなかった。
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