2022/04/23 10:15

翌日。

バイトは午後からなので、午前中は時間があった。店長から聞いた白骨死体の事件を、ネットで探してみた。2015年4月、発見されたのは小柄な20歳前後の男性の白骨。奇妙なことに、この遺体は旧日本軍の軍服を着ていた。名前などは判別できず、身元不明のままとなっている。…これはこれで、不気味な事件だ。

遺体の死亡推定時期は2ヶ月以上前で、李さんの暴行事件とも時期が近い。やっぱり何か関係があるのだろうか。昔の軍服は探せば手に入るだろうけど、どうしてそんな人目に付きそうな格好してたんだろう…だが、目撃者はいない。

隣室が何やら騒がしいと思ったら、電話を終えた李さんが戻ってきた。なんだかムッとしているようだ。

──何か言われたの?
──親が、帰って来なさいと言っています。まだ何もわかってないのに。
──そりゃあ、親御さんは心配するよ。
──カウンセラーが、それ以上調べるのは危険だと、言ったそうです。

専門家によれば、記憶障害というのは本人にとって何らか極端なストレスがかかったことが原因で、引き起こされるという。特に李さんの場合、思い当たる脳や精神の疾患がないので、その可能性が大きい。この3年間で記憶が回復する兆しはなく、それは李さんがまだ、その原因を受け入れられない状態だからで、そんなときに無理に原因を知ることは非常に危険である──という意見のようだった。言われてみればもっともだ。

──それで、どうするの?
──ちょっと考えます。言ってることはわかりますが、どうしても気になるのです。

李さんが納得するようにすればいい、とも思ったが、それでまた記憶をなくしたり、もっと悪いことになるのは心配だった。黙っている私の心情を察したのだろうか。

──なんとなく、本当になんとなくですけど、違う気がするのです。
──何が?
──私の記憶喪失。病気ではないような気がするのです。

どういうことだろう。殺人犯を目撃したから、記憶を消去された、とか?これまた、漫画みたいな話だ。そんなことが技術的に可能なのかどうかわからないが、なにも3年以上も消さなくたって良さそうなものだ。しかもご丁寧に2回も。

──それはわからないけど、専門家がそう言ってて、親御さんも心配してるんだったら、無理はしちゃだめだよ。
──そうですね。精神力には自信があるのですが、慎重に。

李さんは笑みを浮かべて、私を安心させようとしてるらしかった。精神力に自信のある人が、記憶喪失になったりするだろうか。自信があるから、自分の現状に納得できないってことなのか。

──そうそう、それと姉から新情報です。あの後、私は姉に事件の話をしていたそうです。
──あの後って、どの後?
──2015年に、最初に私が襲われて、倒れた後です。あの年、私は春節に帰れなくて、家族に電話したんだそうです。
──ああ、春節って、聞いたことある。旧正月だね。

台湾は旧暦の正月に新年を祝う。現在のカレンダーで言うと1月下旬から2月上旬ごろ。日本の年末年始と同じように、台湾でもその時期には帰省する人が多いが、日本にその習慣がないために、こっちで働いていると休暇が取りにくいのだそうだ。

李さんは春節の挨拶と、近況をやり取りするために家族に電話した。その時、夜道で何者かに襲われた出来事を話していたのだ。李さんはすぐに意識を取り戻して、何か盗られた様子も怪我もなく、自宅に帰ってきた。無事だったから笑い話だけど、日本は治安がいいからって油断はできないね、というような話だったらしい。

──何も盗られてない。怪我もしてない。そんな大した事件じゃなかったのかしら。
──ネットでも、あの頃にそういう事件は見つかりませんでしたね。

──お姉さんも、李さんがここで調べるのを反対してるの?
──姉はそうでもないです。心配はしてるが、私が時々頑固なのを知っていて、止めても無駄だと思ってる。

李さんは笑ってみせた。姉弟って、そういうものかもしれないな。

──華恵さんは、兄弟いますか?
──妹がひとり。李さん家と同じで、結婚して両親と住んでるよ。
──華恵さんは、一緒に住まないのですか?
──妹が結婚したから、家を出たの。親に何かあっても妹夫婦がいるなら心配ないし、外から来た旦那さんから見れば、親の脛をかじってる私は、邪魔でしょう。

半分は本当で、半分は嘘だった。嘘というか、半分しか話さなかった。妹が結婚した相手は、私の元婚約者だったのだ。まぁ、もう終わった話で、今は平穏に暮らしている。李さんにそんな込み入った話をしてもしょうがない。もう波風は立てたくない。つまらない人生でも、静かに暮らしたかった。

──そうなのでしょうか。台湾では、家族はみんな一緒に住むことが多いです。「脛をかじる」という言葉は知っていますが、なんだか痛そうですね。

私もちょっと笑った。

──私も今、華恵さんの脛をかじっていますね。

李さんがまた、申し訳無さそうに言った。あれ、余計な気を使わせちゃったな。

──1日や2日じゃ、脛をかじるとは言わないよ。それに帰ったら、お金は返してくれるんでしょ?
──もちろんです!必ず返します!ご恩は決して忘れません!

李さんは深く頭を下げすぎて、テーブルに頭を打った。やっぱり、この人に人は殺せない、と思った。

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